診断書が出ない程度に社会に適応できない人へ
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神(偶像)という罠と自己嫌悪感
私の住んでいるところに凄い立派なお寺があります。
お寺ってある程度、質素かつ立派なイメージですが
そのお寺は立派かつ派手です。
建築費用も馬鹿にならないでしょう。
さて、その話はおいておいて、自己嫌悪感についてのお話。
自己嫌悪するというのは自分より優れている誰かと比べた結果、
自分がよくない存在だと思うというパターンが私には多いです。
今存在する"教え"のなかに完璧な存在者を神と定義し崇拝する
ケースがあると思います。なぜでしょうか?
人間なので四六時中 完璧な存在ではないことはある程度長く生きて
いろんな人と知り合えば分かる話だと思います。
最大瞬間風速的にその存在に近くなる人はいますが…。
時の流れによって「平均化」されてゆきます。
(念のために、テレビ画面の向こうにいる人とかセミナーの教壇に立つ人は言及対象ではないですよ?
切り取った一面しかわからないじゃないですか?)
切り取った一面しかわからないじゃないですか?)
そこで、人類は完璧な存在を定義するという発明をした。なぜでしょう?
今回はあえて言い切りませんが並べなおせば意図は汲んでいただけるかと。
最後に一つ、
その徳はお金で買えますか?
その徳はお金で買えますか?
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